2008年02月17日

山口宇部空港

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山口宇部空港(やまぐちうべくうこう Yamaguchi-Ube Airport)は、山口県宇部市にある第二種空港である。

空港概要
現時点で山口県で内唯一民間航空機による定期便が就航する空港であり、山口県の空の玄関口となっている。

新しい空港ターミナルビルの建設や、2001年に行われた博覧会「山口きらら博」の影響で、利用客は増加を遂げていたが(2002年度は92万5千人)、2004年度は92万401人と前年度に比べて4万1千人(4.3%)減少し、6年ぶりに減少に転じた。その要因としては、国内にシフトしていた旅行需要が国際線に戻ったこと、度重なる台風による欠航の影響が大きかったことの影響が挙げられている。2004年度の座席利用率は71.1%と、前年度(61.5%)を9.6ポイント上回った。これは使用機材の小型化に伴う提供座席数の減少によるものと言われている。2005年度の座席利用率は68.9%と前年から減少しているが、使用機材を一部の便で再度大型化した結果であり、利用者数そのものは微増となっている。

2006年の新北九州空港開港に伴い、地理的にも経済的にも近い下関市周辺が新北九州空港のエリアにもなり路線数・便数ともに多い新北九州空港を利用する危惧から、現在山口県を中心とした「山口宇部空港利用促進下関委員会」を設立し、山口宇部空港の利用促進を行っている。実際、2006年度の利用率は新北九州空港の影響もあって、67.5%と前年比2.4%(約19,000人)の減となったが、年度後半はほぼ前年並みの搭乗者数を維持している。

山口県に近接する空港としては新北九州空港の他に萩・石見空港広島西飛行場があるが、便数や就航路線の違いにより新北九州空港ほどの競合状態にはない。また、岩国飛行場米軍岩国基地)の軍民共用化が予定されており、供用開始の暁には県東部と県西部で利用客の棲み分けが図られるものと推測される。

新北九州空港開業後、山口宇部発着便に遅れが頻発している。これは山口宇部空港新北九州空港海上自衛隊小月航空基地の進入空域が重複しており、また山口宇部空港レディオ空港であることから、航空管制官の指示を待つために各空港で同時に離陸や着陸侵入が出来ない為である(新北九州空港開業前の旧北九州空港の便数はさほど多くなく、遅れが頻発することはなかった)。このことから、山口県は離着陸時の航空管制を新北九州空港の影響を受けないレーダー管制により行えるよう要望している。

空港施設としては、国内線ターミナルビル(3代目ターミナルビル)の他に、国際線ターミナルビル(2代目ターミナルビルを転用)がある。但し、2007年現在、国際線定期便就航していない。国際線ターミナルビルには、観光プラザが設置されている。


歴史
1966年7月1日 県営宇部空港として開港滑走路L=1200m)。全日本空輸東京国際空港便と日本国内航空大阪国際空港便が就航
1977年9月 大阪国際空港便廃止。前々年の山陽新幹線開通による乗客の流出が原因とされる。
1979年11月 沖合側にB滑走路(L=2000m)供用開始。
1980年4月 名称を「山口宇部空港」に変更。東京便がジェット化。7月に新ターミナルビル(2代目)供用開始。
1983年 A滑走路(旧滑走路)廃止。
1993年5月 新千歳空港便就航(2002年3月に休止)。
1997年7月 那覇空港便就航(1998年12月に休止)。
1999年9月24日 台風18号により滑走路外側の防波堤が破堤。折からの高潮により空港全体が冠水し、管制装置が使用不能となる。数日後に有視界飛行方式で運行を再開するも、完全復旧にはしばらくの時間を要した。
1999年12月 滑走路延伸工事のため、鍋島が埋め立てられ消滅。
2000年3月 新ターミナルビル(3代目・現行)供用開始。
2001年3月24日 滑走路延伸(L=2500m)。
2003年7月 日本航空就航により東京国際空港便がダブルトラック化する。

航空情報・通信業務の担当は、国土交通省大阪航空局山口宇部空港出張所航空管制運航情報官。なお、当空港は非管制化空港である(管制業務は提供されてない)。

就航路線
日本航空 (JAL):東京国際空港
全日本空輸 (ANA):東京国際空港
大阪国際空港新千歳空港那覇空港へも就航していたが、現在は休止している。
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2008年02月11日

高松空港

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高松空港(たかまつくうこう、Takamatsu Airport)は、香川県高松市にある第二種空港である。滑走路誘導路の一部は綾歌郡綾川町に属する。


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沿革
1958年 - 高松市林町にある軍用飛行場を縮小し、供用開始。滑走路長1200m。地元では「林の飛行場」という通称が閉港まで使われていた。
1979年 - 新空港建設候補地を香南台地と決定。
1983年 - 第三種空港に指定。
1989年12月16日 - 新高松空港供用開始。滑走路長2500m。旧空港廃止。
1991年 - 新高松空港高松空港に改称。
1992年 - 国際線旅客ターミナルの供用を開始。
2006年1月10日 - 市町村合併により、空港ターミナルビルの所在地が香川郡香南町から高松市になる。

就航路線
国内線
日本航空 (JAL):東京国際空港
日本エアコミューター(JAC) :鹿児島空港
全日本空輸 (ANA):東京国際空港那覇空港
かつては新千歳空港仙台空港信州まつもと空港小松空港名古屋空港大阪国際空港関西国際空港福岡空港熊本空港へも就航していた。

国際線
航空会社名が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便
アシアナ航空 (AAR)・全日本空輸 (ANA):韓国仁川国際空港

特徴
標高185mの高台にあるため、低温・降雨時には霧が発生しやすく、到着便の降着地変更や出発地引き返しとそれに伴う出発便欠航がしばしば起きる。雨天に関しては、高松市の中心部が小雨でも視界不良となる場合がある。

ターミナルビル内の2階出発ロビーには2004年4月に東京モノレール、2007年8月24日に京浜急行電鉄の切符券売機が設置された。


旧空港から現空港の変遷
1989年末までは現在の空港から10km程度北の市街地に、旧高松空港があった。戦時中に設置された軍用飛行場の設備を改装して設置された空港だったが、以下の問題があり以前から何度も新空港を設置し空港機能を移転することが提案されてきた。

滑走路が1,200mと短く、市街地にあったことから用地買収が難しく滑走路の延長工事も不可能であった。(四国地方のほかの空港は1980年代初頭までにすでにジェット化のための滑走路延長を終えていた)
滑走路が短い影響で長年YS-11を中心としたプロペラ機しか就航できなかった。200人以上の乗客が運べるジェット機に対して、50人程度の乗客しか乗れないプロペラ機は圧倒的に輸送力の面で不利であった。主力だった羽田空港線も1980年代になり羽田空港の受け入れ能力が限界に達しており、これ以上の増便も見込めなかった。
上記の輸送不足もあり、山陽新幹線が開業した後は新幹線に乗客が大量に流れた。(ただし、瀬戸大橋が開通する1980年代末までは、新幹線に乗るには宇高連絡船に乗るなど何回もの乗換えを余儀なくされた)
ジェット機と比べ、スピード面でもプロペラ機は圧倒的に不利だった。現在新空港から発着する羽田空港線は1時間弱で羽田に到着するが、YS-11就航していた旧空港時代の羽田空港線羽田まで2時間弱かかっていた。
市街地に位置していたため、離着陸時の騒音が問題となっていた。空港化する前には航空自衛隊の練習機が着陸に失敗し、滑走路の手前にある民家に墜落するという事故もあった。
以上のこともあり、早急に新空港への移転が望まれたが、用地探しが難航し結局1980年代の末に香南町(現・高松市)の高台に新空港が設置され、空港機能が移転された。現在、旧高松空港の跡地は「香川インテリジェントパーク」という産学の施設用地になっており、コンベンションホールの「サンメッセ香川」や、香川県立図書館、企業の研究所などが設置されている。
かつては国内線も様々な都市に就航していたが、新幹線高速バスに乗客が流れ関西方面や九州方面の便は次々と運休に追い込まれている。鹿児島線は離島への乗り継ぎがいいこと、那覇線は観光需要があることから利用率もまあまあ良好だが、羽田で乗り換えて新千歳まで向かう乗客が増えたため2007年度をもって新千歳線が廃止になったり、唯一の国際線であるソウル線も韓流ブームが一段落し利用率が低迷しているなど、予断が許さない状況である。その一方、羽田空港線は数年前から増便を繰り返しており、利用率も上々であることから、地元の人の間では羽田線専用空港と揶揄されることもある。
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2008年02月02日

徳島空港

toku

徳島飛行場(とくしまひこうじょう)は、徳島県板野郡松茂町(徳島市と鳴門市の中間)にある共用飛行場。通称は徳島空港(とくしまくうこう)。地元では松茂空港とも呼ばれる。海上自衛隊徳島航空基地(とくしまこうくうきち、JMSDF Tokushima Air Base)を併設する他、2009年までに徳島航空基地に付設する形で陸上自衛隊第14飛行隊が駐留する徳島分屯地(とくしまぶんとんち)が置かれる予定。

空港ターミナルの反対側に位置している海上自衛隊徳島教育航空群では、TC-90練習機による海上自衛隊パイロットの教育が行われている。そのため徳島飛行場の年間着陸回数は、民間航空機の発着が四国で一番少ないにもかかわらず約1万5000回と、松山空港と並び四国一を誇る。
現在2500mへの滑走路延長及び新ターミナルビル建設等周辺整備事業が進められており2010年度の供用開始を目指している。

歴史
1941年 - 海軍徳島航空隊として飛行場開設
1983年 - 東京国際空港線がジェット
1987年 - 2000m滑走路供用開始
1989年 - 現ターミナルビル完成
1994年 - 福岡空港線開設 東京国際空港線に全日本空輸が乗り入れダブルトラック
1996年 - 新千歳空港線・名古屋空港線開設
1997年 - 鹿児島空港線開設
1998年 - 鹿児島線廃止 ターミナルビル増改築工事完成
2000年 - 関西国際空港線開設(同年11月廃止)
2002年 - 大阪国際空港線廃止
2003年 - 東京国際空港線から全日本空輸が撤退し、新たにスカイマークエアラインズ(現スカイマーク)が参入
2006年
4月13日 - 東京国際空港線からスカイマークエアラインズが撤退
9月30日 - 就航以来一度も空港を撤退しなかったYS-11型プロペラ機が撤退。
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2008年01月28日

松山空港

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松山空港(まつやまくうこう)は、愛媛県松山市にある第二種空港
伊予灘に面した海岸線に位置し、海側からが優先進入路となっている。周囲は帝人ほかの工場群。四国最大の空港であり、中心部からのアクセスもよい。

歴史
1941年 - 建設開始
1943年 - 大日本帝国海軍吉田浜飛行場として完成。
1944年-1945年 - 局地戦闘機「紫電改」装備の戦闘機部隊である2代目第343海軍航空隊(通称:「剣」部隊。司令:源田実大佐)が編成され、同航空隊の本拠基地となる。
1945年 - 連合国軍に接収される。
1952年 7月 - 連合国軍による接収が解除され、民間空港となる。
1956年 3月 - 松山−大阪間で民間旅客輸送を不定期便にて開始。
1958年 2月 - 空港整備法に基づく第二種空港として指定。
1959年10月 - 初代松山空港ターミナルビルが完成。1200m滑走路供用開始。
1961年
4月 - 松山〜大阪線の就航(松山空港初の民間定期便)。
9月 - 松山〜広島線の就航(〜1999年3月)。
1965年11月 - 松山〜東京直行便の就航。
1966年 1月 - 松山〜福岡線の就航。
1966年 - 全日本空輸YS-11が着陸に失敗して伊予灘に墜落、乗員乗客全員死亡(全日空松山沖墜落事故)。この事故を機に滑走路延長、ILS等の航行保安施設等の拡充が決定した。
1967年 4月 - 第1次空港整備5ヵ年計画(1967年〜1971年度)で、滑走路の延長計画等に着手。
1968年 - 2代目松山空港ターミナルビルが完成。
1971年 5月 - 松山〜名古屋線の就航。
1972年
3月 - 松山〜岡山線の就航(〜1981年10月)。松山〜宮崎線の就航(〜2005年2月)。
4月 - 2,000m滑走路の供用開始、中・四国初(全国で6番目)のジェット化空港ボーイング737就航。
1973年 6月 - 海側からの離着陸を基本とする航空機騒音軽減運航(優先滑走路方式)規制開始。
1978年
11月 - 松山空港ビル(株)の設立。
12月 - 松山〜鹿児島線の就航。
1979年 4月 - 国際チャーター便の第一便が香港へ。
1981年10月 - 第4次空港整備5ヵ年計画(1981〜1985年度)で、2,500m滑走路の整備を決定。
1985年10月 - 滑走路延長工事開始。海側に500m延長のため埋立護岸工事に着手。ターミナルビル地域拡張工事に着手。
1986年11月 - 松山〜沖縄線就航。
1989年 7月 - 運用時間を13時間に延長(8:00〜19:30 → 7:30〜20:30)。
1991年10月 - 松山〜札幌線の就航(〜2007年10月)。
1991年12月 - 2,500m滑走路、新旅客ターミナルビル(3代目)の供用開始、ジャンボジェット化空港へ。ボーイング747マクドネル・ダグラスDC-10就航。
1992年
1月 - 松山空港利用促進協議会の設立(愛媛県、松山市、経済団体、関係企業で構成)。
9月 - 新貨物ターミナルビルの供用開始。
1994年
9月 - 松山〜関西国際線の就航。
12月 - 国際線ターミナルビルの供用開始
1995年 4月 - 松山〜ソウル線の就航。
1996年 9月 - 松山〜仙台線の就航(〜1998年12月)。
1997年12月 - 松山〜小松線の就航(〜1999年6月)。
1998年 6月 - 松山〜松本線の就航(〜2001年7月)。
2004年
7月 - 松山〜上海線の就航。
10月 - 松山〜熊本線の就航。
2005年
2月 - 松山〜中部国際線の就航。4月 - 松山〜ソウル線就航10周年。
7月 - 運用時間を14時間に延長(7:30〜20:30 → 7:30〜21:30)。
2007年
4月 - エプロンルーフの運用始まる(日本国内の空港では初めて)。
7月 - 松山〜上海線就航3周年。
9月 - 全日空搭乗口では完全に磁気券改札システムを廃止し、バーコードまたはANAマイレージクラブカードなどのICカードをタッチして読み取る新方式を全国に先駆けて導入。

飛行場管制は、国土交通省大阪航空局松山空港事務所航空管制官が担当
ターミナル管制は、米海兵隊岩国飛行場岩国管制隊が担当

空港周辺
2007年現在、空港周辺のうち、南と北は帝人をはじめとした工場群や下水処理場、東には住宅と工場・倉庫等が混在しており一部に水田等が残っており、大型の集客スポット・観光施設などはない。(西は瀬戸内海に面している)
空港近くの南吉田地区には松山海軍航空隊基地の遺構である掩体壕が3ヶ所に現存している。
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2008年01月27日

高知龍馬空港

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高知空港(こうちくうこう)は、高知県南国市にある第二種空港
愛称は高知龍馬空港(こうちりょうまくうこう)。
日本で初めて人名を冠した空港である。
かつては旧日本海軍航空基地であり、空港周辺には掩体壕(えんたいごう)が7基現存している。

現在エプロン滑走路等の拡張工事を計画しており、周辺道路・水路は地下へシフトさせる方針である

歴史
1944年 - 旧日本海軍高知航空隊基地として建設される。この基地からは、特別攻撃隊も出撃している。
1952年 - 講和条約締結により接収解除。
1954年 - 高知大阪線開設。
1958年 - 空港整備法による「第2種空港高知空港・運輸大臣所管」に指定(政令第21号)
1960年 - 1,200m滑走路として供用開始。
1965年 - 高知東京線、高知宮崎線開設。
1978年 - 高知名古屋線開設。
1982年 - 高知福岡線開設。
1983年 - 空港ターミナルビルを新築移設、滑走路も2,000mに延長して供用開始。
1998年 - 高知沖縄線開設。
2002年 - ターミナルビル増築。
2003年 - 11月15日 - 「高知龍馬空港」に愛称化。
2004年 - 滑走路を2,500mに延長して供用開始。
2007年 - 3月13日 午前10時54分ごろ、全日本空輸1603便(エアーセントラルが運行、ボンバルディアDHC8-Q400のJA849A)の前輪が着陸前に出ず、主脚のみで緊急着陸するというトラブルが発生した。幸いけが人はいなかった。(事故の詳細は全日空機高知空港胴体着陸事故を参照)
2007年 - 4月1日 7:00から21:00の14時間運用となる。
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有明佐賀空港

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佐賀空港(さがくうこう)は、佐賀県佐賀市にある第三種空港

概略
空港種別 公共
航空管制 国土交通省
運用時間(JST) 6:30〜21:00
       00:30〜04:30
海抜 6ft(2m)
位置 北緯33度08分59秒東経130度18分08秒
滑走路 方向 ILS 全長×全幅(m) 表面
             11/29 YES 2.000×45 舗装

有明海に面した干拓地に作られた佐賀県唯一の空港
愛称は「有明佐賀空港」で、佐賀県などがこの名称を使用している。

空港から半径2キロ以内に民家がない」という触れ込みで佐賀県が誘致をした結果、2004年に夜間貨物便就航した。
以後は、九州の空の物流拠点としての存在感を僅かながら増している。

開港以来、福岡空港の混雑を避けたチャーター便の発着が見られ、アジア圏への定期的チャータープログラムが組まれることもある。

対して定期旅客便国内線のみ)は開港以来の低調を脱するに至らず、空港の存在意義を問う声が根強い。

福岡空港の混雑緩和の目的での利用、あるいは福岡空港国際空港機能移転も提案されている。

歴史
1998年(平成10)7月28日:開港
2004年(平成16)7月7日:夜間貨物便就航

佐賀空港レディオ空港であり、管制業務は行われていない。

福岡リモートは、雁ノ巣にある福岡航空交通管制部管制官が担当する。

開港当初は全日本空輸による東京国際空港便2便、大阪国際空港便1便に加え名古屋空港便(全日本空輸)、大阪国際空港便(旧日本エアシステム)がそれぞれ1日1便、計1日5便の体制だった。
しかしその後まず旧日本エアシステム大阪国際空港便、次いで名古屋空港便が搭乗率の低迷により廃止された。
現在は東京国際空港便の1本増便、旧日本エアシステムの撤退を埋める形で大阪国際空港便が全日本空輸により1本増便となり、結果として1日5便に戻っている。


貨物専用便
全日本空輸
東京国際空港
関西国際空港
深夜に各1往復づつ。
当初はボーイング767旅客機の貨物スペースを利用しての運行だったが、現在は貨物専用機が使用されている。

夜間貨物便は福岡県柳川市上空を避けて飛行するよう、昼間便と飛行経路が少し変更されている。
また、当初は中部国際空港便が運行されていたが全日本空輸の意向を受け、2008年1月7日より関西国際空港便に変更された。
これは、国際線貨物の接続便がより充実しているため、とされている。

九州国際空港案
都心部に近い福岡空港は、市街地における騒音問題から早朝深夜に運用出来ず、空港の拡張も難しい等の制約を抱えている。
このことから、既存の佐賀空港を拡張し、成田関西中部に次ぐ国際空港にしようとする案を佐賀商工会議所等が提唱している。
九州の主要都市である福岡市、熊本市、長崎市へのアクセスも周辺の道路や鉄道を利用する事で1時間前後とすることができ、北部九州における経済効果が見込まれる。
しかしコストや需要の問題などから、現在まで実現のめどが立っていないうえに、国土交通省、福岡県、福岡市による「福岡空港調査連絡調整会議」が近隣空港との連携は福岡空港の混雑の抜本的な解決策にはなりえないと判断したため、実現の可能性は低くなっている。

利用者は、有明海沿岸の空港に近い地域の住人が多数を占める。
定期便のない正午前後の時間帯には、搭乗ではなくレストランで食事を取り、売店で周辺地域の特産品を購入して帰るだけの利用者が多く見られる。
いかんせん、利用者数が「多い」とはいい難い状況にあり、無駄な公共事業として取り上げられることもしばしばである。
佐賀市などでは、福岡空港を利用する方が便数も遥かに多い上に運賃も安く(東京便航空会社同士の競争、大阪便山陽新幹線との競争があるため)便利。
これに対抗して佐賀空港では駐車料金を無料としている。
地方空港では珍しい航空機ナイトステイ東京便において行われている。
東京発最終便が乗客を降ろした後佐賀空港で夜を明かし翌朝早朝に東京に出発する。
これによって東京日帰り出張が可能と謳い、結果として東京便は開港当初の1日2往復から3往復となった。
ただ、これによってかかる費用は全額佐賀県負担で、年1億数千万円とも言われている。
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2008年01月26日

長崎空港

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長崎空港(ながさきくうこう)は、国土交通省が設置・管理する第二種空港
大村湾に浮かぶ有人島である箕島を開発することで、世界初の海上空港関西国際空港開港までは世界で唯一の海上空港であった)として開業した。
オリエンタルエアブリッジが本社を構えている。

一般に知られる長崎空港とは、正確には長崎空港B滑走路(14/32)とそれに付随する施設のことを指し、長崎県大村市に属する、大村湾のほぼ中程、海岸から約2kmに浮かぶ箕島(みしま)に位置する。
箕島全域が空港として使用されている。
箕島の山地部を切り崩し、その東海岸付近を埋め立て造成を行い、空港とした。
本土とは箕島大橋で結ばれている。

なお、長崎空港A滑走路(18/36)は、本土側の大村市今津町に位置する長崎空港発足以前の旧大村空港を指し、現在は大村航空基地と呼ばれ、海上自衛隊大村航空隊及び第22航空群により使用されている。
意外に知られていないが、長崎空港コンコルドが飛来した日本の空港の中では数少ない空港の一つでもある。

最近空港内(箕島)に住み着いている狸が増加し、車体や倉庫への侵入や轢死など問題となっている。

1955年 旧海軍施設を利用して大村空港が発足。
1960年 空港整備法により第2種空港に指定。
1972年 海上空港として埋立地の造成工事開始。
1975年 世界初の海上空港として長崎空港の名称で営業開始。
1990年 「'90長崎旅博覧会」のイベントとして、コンコルドが飛来。
2008年 リニューアルオープン予定

航空管制は、国土交通省が実施している。海上自衛隊は自隊の航空機に対して大村側の地上走行のみの管制を行っている
TCAは、平成19年7月1日より運用開始

空港地理
箕島大橋
長崎空港と本土(大村市森園町)を結ぶ長崎県道38号長崎空港線の連絡橋。
長さ970 m、幅員8.5 m。
花文字山
空港西側にある丘陵。
滑走路側の切土斜面には約5万本のツツジ及びサツキでNAGASAKIの文字が施されており、その景観から空港のシンボルとなっている。
毎年5月1日には、空港建設に伴い立ち退いた旧島民により慰霊祭が行われている。
毎年9月あるいは10月に、空の日にちなんで、一般に開放されている。

騒音
空港自体が大村湾の沖合に位置するため、本土での騒音による公害は皆無に等しく、環境面でも有効な位置関係である。

風の影響
島そのものが空港のため、内陸型空港より風の影響をまともに受けやすい。
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阿蘇くまもと空港

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熊本空港(くまもとくうこう)は、熊本県上益城郡益城町にある第二種空港。愛称は「阿蘇くまもと空港」。

2005年度の熊本空港旅客数は313万人で、乗降客数順位で宮崎空港を抜き福岡空港鹿児島空港に次ぐ九州3位に上昇した。
熊本市から北東へ約20kmの阿蘇山の山麓にある。
空港ビルは益城町にあるが、滑走路の殆どは菊池郡菊陽町にある。
陸上自衛隊の高遊原分屯地が隣接し、また民間機と滑走路を共用しているため、自衛隊機の発着も見ることができる(CH-47J(A)、OH-6D、UH-1などのヘリコプターが多い)。
空港周辺が霧の多い場所であるため、ILSカテゴリーIIIb(CATIII-b)で運用しており自動着陸が可能である。

1960年 熊本飛行場(熊本市健軍町)供用開始(滑走路長1,200m)
1971年 現在地に移転。熊本空港供用開始(滑走路長2,500m)
1977年 滑走路長3,000mに延伸、供用開始。
1995年 9月よりカテゴリーIIIa運用開始(成田国際空港釧路空港とともに日本初)  
2006年 4月よりカテゴリーIIIbへ運用移行
2007年 4月より「阿蘇くまもと空港」の愛称使用開始
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2007年03月21日

宮崎空港

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宮崎空港(みやざきくうこう Miyazaki Airport)は宮崎県宮崎市にある第二種空港

宮崎市の南部、海岸地帯にある。市の中心部からの距離は約5kmと至近距離である。
長距離陸上交通の不便さに加え1960年代の新婚旅行ブームなども重なり、当初より乗降客が多く、早くから各種設備が整えられ、地方空港のパイオニア的な存在として発展してきた。「日本一のローカル空港」とも呼ばれている。
イベント会場を設け、年間100を超える各種イベントを実施。中でも世界唯一の空港コンサート「エアポート・ナイトライヴ」は、一青窈をはじめ、新旧多くのミュージシャンが行ってきた。その他にも、日本有数のギターショーや展示会、ジャイアンツソフトバンクホークス等のイベントも開催されている。
1996年に、ターミナルビルまで連絡鉄道(JR宮崎空港線)が接続されたため、ビジネス需要も多い県北部の日向市・延岡方面のアクセスも良好である。宮崎市街地とは、宮崎交通の路線バスと、鉄道の両方のアクセスがあり、路線バスは列車より便数が多い。観光需要の多い宮崎県総合運動公園(巨人キャンプ地)・青島・日南市方面や、小林市方面、都城市方面へも路線バスが通じる。
太平洋戦争中は日本海軍航空基地であり、航空機(零式艦上戦闘機など)用の掩体壕が現存している。これは空港沿いを走る国道220号から容易に観察できる。
空港ターミナルの運営は、地方空港で唯一民間主導の会社「宮崎空港ビル」(宮崎交通と全日本空輸で50%超)で行っている。
独立行政法人 航空大学校の宮崎本校キャンパスが滑走路北側にあり、ビーチクラフト式A36型訓練機(ボナンザ)によるエアラインパイロットの養成が行われている。空港ターミナルや国道などからタッチアンドゴーなどを含む離発着訓練の様子を観察できる。ときには新人訓練生らの不安定(危なっかしい)な着陸を見ることもでき、そのような機体が無事に着陸すると、一般利用客から拍手が起こることもある。
1970年代から滑走路を2500mに延長する計画があったものの、漁業補償で難航し、新田原基地などへの移転も検討されたが、県は立地条件を最重視したため、かなりの時間を要しながらも現空港での滑走路延長となった。


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posted by kuko-j at 15:36| Comment(0) | TrackBack(6) | 九州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月03日

鹿児島空港

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鹿児島空港(かごしまくうこう)は、鹿児島県霧島市溝辺町にある第二種空港

鹿児島県本土中央部に所在。
鹿児島市街地に出るのには、約1時間を要する。鹿児島市街へは日中ほぼ10分おきにバスが運行されている。最終バスは21:15出発(時期のダイヤによる)とされているが、民航機の到着状況を考慮し、最終バスの出発を遅らせることがある。
離島路線を抱えているので、第二種空港としては規模が大きい。日本エアコミューターが本社を構えている。

歴史
1932年(昭和7年) 鹿児島市営水陸両用飛行場として建設。第二次世界大戦中は、海軍鹿児島基地として使用。
1957年(昭和32年) 鴨池空港(旧鹿児島空港=鹿児島市鴨池新町付近)が第二種空港として開港。
1972年(昭和47年) 鴨池空港から現在地に移転し、鹿児島空港開港。滑走路は、2500m。ローカル空港ながら国際空港機能をあわせもった初の空港。
1980年(昭和55年) 滑走路、3,000mに延伸、供用開始。

旧・鹿児島空港
旧・鹿児島空港は、1932年に鹿児島市営水陸両用飛行場として建設された。第二次世界大戦中には、海軍鹿児島基地として使用された。特別攻撃隊の基点として知覧と都城が著名であるが、本飛行場も使用された。
1957年に鹿児島空港(通称・鴨池空港)が第二種空港として開港したが、1972年に現在地に移転・拡張したため鴨池空港は廃止となった。

その他
空港温泉足湯 おやっとさあ(2006年10月22日撮影)東京・大阪線を中心に比較的利用者が多く、ワイドボディ機も幹線を除くとこの空港に導入されたケースが多い。またそうした背景から多数メモリアルフライトの舞台ともなり、東亜国内航空エアバスA300のファーストフライト(1981年3月1日)、全日本空輸トライスターのラストフライト(1995年11月30日)、同ボーイング747-SRのラストフライト(2006年3月10日)と、実に3度も羽田〜鹿児島線がワイドボディ機に関するメモリアルフライトの舞台となった。
空港内には離島路線を担う日本エアコミューターの本社がある。同空港を拠点とし、奄美、沖永良部、与論などの薩南諸島への路線を展開している。その主力であった唯一の国産旅客機YS-11の国内ラストフライトの舞台ともなった(2006年9月30日JAC3806便 沖永良部発鹿児島行)。
海上保安庁鹿児島航空基地を併設する。
空港施設内に鹿児島空港内簡易郵便局が設置されている。
到着ロビー(1階)を出ると出入り口(2)と出入り口(3)の間に空港温泉足湯 おやっとさあ(お疲れ様の意)が設置されている。

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posted by kuko-j at 14:12| Comment(0) | TrackBack(14) | 九州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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